京町家の暮らし

  • 季節とともに
  • 京町家の神様
  • 住み手の声
  • 家のつくりようは、夏をむねとすべし

     

    「家のつくりようは、夏をむねとすべし」と徒然草で兼好法師が記したように、湿度の高い日本の気候において、平安の頃すでに、人の住処は夏の暑さを考慮して造られていた。特に盆地のせいで蒸し暑さがたまらない京都の夏は、日中をいかに涼しく過ごすかが大きな命題である。盆地という地理的要因に加え、帝の御座す都として栄え人口が集中し、必然的に住処が密集する。特に秀吉の時代以降、平安京の区画割りをベースに効率よく建てるには、間口を狭く奥に深くといういわゆる「ウナギの寝床」の地形が形成される。このように密集した状況では、採光も通風も良いとは言えない。だからこそ京の人々は、いかにこの暑さをしのぐか、長い年月をかけて考えてきたのだ。夏になると襖や障子を外して御簾や葦戸など夏用の建具に替え、直射日光がそそぐ2階開口部には簾を垂らし、軒先には風鈴を吊るし涼しげな音に耳を傾ける。庭に水を打つことにより起きる気圧差で奥から表まで風が通り抜ける原理も知っていた。町家には体感でも五感でも快適に過ごすための仕掛けがあちこちに散りばめられているのである。

  • 火鉢で暖

    逆に冬についてはとんと疎い。京都の冬の寒さは「底冷え」と言われるように、足元から体の芯が冷えるような寒さである。表から奥まで貫く通り庭の連続した土間空間、たてつけの悪い建具の間から隙間風が入り込む。とにかく「寒い」のだ。さすがに火を扱う炊事場=ハシリは、少なくとも調理後は温もりが留まっていただろう。しかし、京の底冷えはからはその程度では逃れられない。昔の暖房器具はと言うと、火鉢とせいぜい炬燵程度。冬の寒さは、家族がひとところに集まり重ね着をして、耐えしのぐものであった。今でこそエアコンや床暖房が私たちの暮らしを快適にしていることは当たり前だが、「しのぐ」暮らしが当たり前であったのはほんの140年前のことである。

  • 坪庭

    現代の住宅は、断熱材や合板で防備され、冷暖房で温度が決められ、1年365日の24時間換気・・・。要するに密閉された中で気候も気温もコントロールされているようなものだ。このような密閉された家の中に居ると、日々の暮らしに四季を感じることが少なくなる。 逆に町家は、柱は木、壁は土、そして畳のように、自然物で構成され自然からの恩恵を暮らしに活かす工夫がされていた。木や土は湿気を調節し、光の入らない通り庭には天窓を設け、小さくても庭こしらえ光と風の通り道を作った。このように見ると、熱や湿気をため込まないように、建物そのものが呼吸し、常に外部と緩やかに繋がっていることがわかるだろう。建物そのものも、そこに暮らす人も暑さや寒さを肌で感じとり四季の移ろいを身近に感じ、季節ごとに合わせた暮らしを送る・・・。なんてことのない、日本人が昔から身につけてきた暮らしなのだ。現代の整った快適な住環境の中での暮らしとは、季節の感じ方そのものが変化しているのである。

  • 夏の葦戸

     

    現代のように科学技術が発達する以前のものなのだから、電気容量や配線しかり、排水管設備しかり、多様な仕組みは備えていない。現代設備をそのまま伝統工法の町家にスライドすると、様々な弊害が起こるのは想像に易いだろう。このような側面から町家を捉えてみると、町家という建物が非常にエコな建物であることに気がつく。明治以降、電気・ガス・水道設備が庶民に普及するまでは、炊事の水は井戸水、ご飯は薪をくべ火で炊き、トイレはくみ取り、風呂は行水か五右衛門風呂、暖をとるにはせいぜい火鉢・・・。現代の暮らしからするとエネルギー消費が極端に少ない、つまりエコな建物なのである。電化製品が発達する以前のことなのだからエネルギー消費が少ないのは当たり前だが、冷えた井戸水は天然の冷蔵庫であったように、自然の恩恵を十分に活かした暮らしが営まれていたのだ。

  • 庭の手水鉢

    だからと言って、昔の暮らしに戻らなければならないわけではない。人間の進化による科学技術の発達なのだから、その技術でもって、伝統家屋の造りを尊重し、伝統家屋の性質に合わせて現代設備を効果的に取り入れることができれば良いのだ。つまりは建物と気温をコントロールするのではなく、建物と気候と上手に付き合い暮らすということなのである。暑いなり、寒いなり、四季ならではの暮らしができるのも町家の醍醐味であり、多くの人を惹きつける魅力の一つでもある。現代住宅と伝統家屋は相容れない面があることに違いは無いが、後世に町家の暮らしをを受け継いでいくためには、二者の調和が不可欠であることは言うまでもない。